martedì 14 maggio 2013

ドロミーティ・アルプスを歩く (4)

宇都宮 和代


<4>

毎日暑い。山の中だって暑い。夕刻、渓流沿いの散歩道で出会った老夫婦はヴェネチア市民。彼らは夏の盛りは毎年ここで過ごす、そうだ。「暑いねえ」という話と、ベルルスコーニ批判で意気投合した。というより、この話題を振り向けると乗ってこないイタリア人を私は知らない。ベルルスコーニ氏はもちろん、ちょっと前のイタリア首相で、現在もまた性懲りもなく政権を狙っていて、こんなに有名で、こんなに話題に満ちた人物は他にはいないだろうと思わせる、老練かつ信じがたいほどしたたかな政治家である。金と女、これにまつわる数えきれないほどのスキャンダルを本人だけは物ともしないのだから、呆れる。呆れる、を通り越して感心してしまう。こんな無責任な感想は、利害関係がない他国人だから言えることだが、演説はうまいし、なんか、憎めない。独裁者ムッソリーニもこんな風なタイプではなかったのかな?は、これも無責任な個人的感慨だ。

6年ほど前、イタリア滞在中に、ベルルスコーニ夫人ヴェロニカが夫のライバル紙(彼はイタリアのマスコミを牛耳ってもいるのだ)で左翼系の『ラ・レプッブリカ』(”La Repubblica”) 紙で公開した夫宛の手紙とその経緯を報じたあれこれの記事を、辞書を片手に隅から隅まで読んだことがある。これまた女性がらみの馬鹿げたエピソードだけれど、政治家のスキャンダルをイタリアのマスコミが大きく取り上げるということ自体意外だったし、「みんなの前で私に謝れ」という妻の要求に、夫が即座に謝って、それこそアッという間に事態が収束してしまうこの国の風土に興味を惹かれた。その意味ではとっても印象的な出来事といえた。

2007年1月末、『ラ・レプッブリカ』は第一面でベルルスコーニ夫人ヴェロニカが同誌に宛てた手紙の全文を掲載した。このいつも派手な男は、あろうことかある「公の」パーティーで若い女性に「もし僕が独身なら君とすぐにでも結婚するのに」と声をかけた。当時70歳。このセリフが切り札になる。長年に亘っていろいろと目をつぶってきた元「ファースト・レディ」はその我慢の限界を超え、政敵の新聞に投書するという手段を選ぶ。何を?「私的にではなく公衆の面前で私に謝れ!」彼女は「妻」たち全員を代表して夫たちに文句を言っているばかりか、これ以上の「沈黙」は我が娘、息子たちの未来をも毒する、と宣言する。夫はもちろん一言も反論できない。すぐさま(その翌日に)全面降伏する。そのキャラメルのように甘いセリフが(左翼的でない)他の新聞に掲載された。「親愛なるヴェロニカへ、ほら、これが僕の謝罪文だ... 僕は君には逆らえないよ... 僕たちはこれまで人生を共にし、三人の素晴らしい子どもたちに囲まれ、愛し合ってからの日々を一緒に生きて...」云々。『フィレンツェ』紙コラム曰くー「この数日、我々は他の話題を語らなかった」。

政治家のスキャンダルと言えば珍しくもない、というのが日本人の平均的な感想だろう。一昔前、某日本国首相のみっともない(=完全に男を下げた)狼狽というか、醜態振りも記憶に新しいし、クリントン元アメリカ大統領の女性問題弾劾騒ぎも忘れられない。こちらの方は何やらいう特別捜査官があまりにもネチネチとしつこく追求するので、大統領のかなりスキャンダラスな行動にも拘わらず、むしろ彼を擁護したくもなったものだ。さて、ヴェロニカは書いていたー「私の娘に教えたい、男たちと関わって己の尊厳を守らなければならないことになったらどう振舞うべきかを...、わが息子の手助けをしたい、女たちとまっとうで対等な関係を結べる人間になるために...」。この「ヴェロニカ事件」は、でも、彼がどのようにたくさんの女性たちと浮名を流していたか?などでは全然ない。真実きっと底知れぬ浮気者なんじゃないかとは想像がつくものの、その種の興味に焦点をあてた報道は影も形もない。そんなことで騒ぐ習慣はこの国にはない。騒ぎは一にかかって、「政治家のプライヴァシーが公の話題になり得る」という驚きにある。クリントン騒ぎのときも、「アメリカ人は何でこんなことで騒いだりするの?」がこの国の人々の反応だったのだ。今回は事情が違う。なにしろ当事者がそれを望んだのだ。だから夫の謝罪と同時に騒ぎはさっさと一段落してしまった。ベルルスコーニ夫人は元作家である。抗議文が格調高くなったのも無理はない。彼女の行動はあっぱれだ。それにしてもこの男、限りなく話題に事欠かない。整形手術もして皴取りしたというから優男(になりたがり)ぶりも半端でない。当時、あの美しい夫人が自らにどう決着をつけるのか?も話題になった。クリントン夫人のように「彼女もいずれリーダーになるつもりかも」と書いた観測記事を読んだ。この夫も、しかし図太い。事件の数日後にはこう放言したー「女のことはもう沢山だ。ゲイの話はまた別だ」-同性同士の婚姻を認める法案が上程されそうなのを踏まえた発言だ。「ゲイなんかどうせ左翼ばっかりだしー」と口を滑らせて、「私たちは右翼なのに!」とゲイ・グループに文句をつけられて、これまた紙面を賑わした。

話が横に逸れたので、元に戻す。「イタリア人は政治が好き」と教えてくれたのはフィレンツェで昔教わったイタリア語の先生だ。散歩をしていたヴェネチア市民夫妻も例外でなかった。政治が好きな、もう一組のペアについて書いてみたい。出会ったのは四度目のトレッキング時。「黒い森」という名の山小屋 (Rifugio C.ra di Bosconero 1457m) を目指したそれで、観光案内所のお兄さんのこれまたお勧めのコース。ガイドブックには初心者向け(facile anche per bambini) で、森の中を歩くから暑くなく、標高差は650m しかないラクチン・コース、のはずだった。道路脇のポンテセイ(Pontesèi 825m)を出発し、無料駐車場から直接山道に入る。ひたすら登った1時間ほどは問題なかった。登山者に会うのも稀だし、日差しが遮られて帽子もいらないし、快適そのもの。なのに、大きな谷に突き当たり、コースを見失う。谷の向かい側に行くべきだろうが、左を回るか、それとも右か。あれこれ偵察してもわからない。わが友は動けなくなりそうな気配が濃厚だ。そこに本当に折よくありがたく、シニアの三人組が現れた。イタリア人男性二人、フランス人女性一人。この辺りの山は知り尽くしていますよ、といった雰囲気ありありで、ガイドブックにない、人の踏み跡さえない道なき道を突っ切って難なく幹線コースまで連れ出してくれた。

二時間半で山小屋に到着。この小屋はなんとかいう(名は忘れた)国立大学と提携しての「環境保護」活動ではよく知られた施設である。昼時だ。美味しそうな匂いが辺りに漂う。屋外のテーブルでは、もろ肌抜きになって日光浴をしつつ、ワインなど飲んでくつろぐ山男たちで賑わう。子どもは?いたいた、一人だけ。幼稚園ぐらいの年頃の女の子が草と戯れている。ヤギが二匹、男たちに追われて走り回る。ほどなく先ほどの三人組が出現。「お昼は山の中で済ませた」と言いつつ「一緒にワインを飲まないか?」なるほど、これがシニアの山行きだ。レストランで食べれば食費がかさむ。山小屋の食事が里より高いわけではないが、里であろうがなんだろうが、ファースト・フードでないちゃんとしたレストランは、安くはないし時間もかかる。飲み物はそうじゃない。山で飲む100円からせいぜい150円のコーヒー(エスプレッソ)が十分においしい。

見ると一人が双眼鏡で眼前の絶壁をいつまでもいつまでも凝視している。「ほらほら、あそこで三人がロッククライミングをやってるよ」。見せてもらったが、私の目は衰えすぎて双眼鏡をもってしても役にたたない。切り立った崖はサッソ・ボスコネーロ山(Sasso Bosconero 2468m)。その山頂は山小屋からは1000mも上にある。

                  “おしゃべり好きな山男”氏                      
三人組に引率されてまたまた道なき道を下山した。歩きながらいろいろ事情を教えてくれたのはリタイアして8年になるという話好きなイタリア人男性である。「しゃべりながら歩くのがイタリア流山歩きだよ」。なるほど、歩く速度は早くても、おしゃべりするためか、それともこちら側の事情を配慮してか、しょっちゅう立ち止まる。このおしゃべり氏はこの辺りに別荘を持ち、ヴァカンスは毎年きっちり三か月間。とっても優雅、信じがたく優雅だ。そういえばそろそろ彼らの大好きなポルチーニ茸の収穫期だ。夫人は今日は体調を崩し、“別荘”で休養の身である。もう一人は「スキーでオリンピックにも出たことがある」山岳ガイド氏で、フランスで教師をしていた女性とは山で「知り合った」。籍は入れてないけど、今は夫婦。一緒に暮らしている。

彼らにはいろいろ世話になったので、宿に帰って5人で炭酸入りビールで乾杯した。おまけに何となく誘われて、その日は夜9時開始の「講演会」にも参加することに。講師はテレビでも活躍する名の知れた作家で、演題は「イタリアの財政赤字について」。30歳を越えたばかりの若い市長さんがわざわざ司会を務め、大層盛会だったが、数字の羅列ばかりだったし、話も細かすぎて大方は頭を素通りし、眠気を抑えるのに苦労した。こんなつまらなそうな演題で夜中のホールが満員になる。イタリア人は本当に政治が好きなのだ!
 Rifugio C.ra di Bosconero (1457m)


I SENTIERI DI ZOLDO  RIFUGIO CASERA BOSCONERO (1475m)
Difficoltà: facile, anche per bambini
Tempo: ore 3-4 AR
Dislivello: 650 m
Segnaletica CAI: 490
Acqua: si
Posti di ristoro: rifugio Casèra Bosconero
Punto di partenza: sp 251 in loc. Pontesèi
Anche invernale (CASPE): sì


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